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セガハードストーリー

最終回

ゲームの未来を変えた先進的ハード 『ドリームキャスト』

2018.11.05 掲載


ドリームキャスト

今回はいよいよセガ最後の家庭用ゲーム機『ドリームキャスト』です。
これまでにない立体的なグラフィックを実現したパワフルな3D機能や標準装備されたインターネット通信機能など、当時としては先進的な機能を数多く盛り込み発売された『ドリームキャスト』でしたが、セガはこの『ドリームキャスト』を最後に、約20年に渡る家庭用ハードの開発から撤退します。セガの7番目の家庭用ゲーム機『ドリームキャスト』はどのようにして開発されたのか、また高い評価を受けながらなぜ最後のハードとなったのかをご紹介します。


3DCGに特化したハード設計とソフト開発のしやすさに注力

『セガサターン』発売後、セガは市場動向を見ながら、さらなる次世代機の開発に取り掛かっていました。ソフト開発現場からの声や、日本だけでなく海外も含めた市場・ライセンシーからの声を集めつつ、次の世代に求められるものは何かを模索しながらのスタートでした。

しかし、『セガサターン』が発売当初の勢いを維持することに苦戦するようになると、新ハード開発をよりいっそう加速させることになっていきました。
豪華ではあったものの、複雑だった『セガサターン』でのソフトウェア開発は、開発現場からハードウェアの使いこなしに時間がかかる、という声が挙がっていました。元々『セガサターン』は2Dグラフィックマシンとして設計されていたこともあり、3DCG機能は、いわゆる開発における“クセ”を理解しないとパフォーマンスが十分に発揮できませんでした。

そこで新ハードでは3DCG機能にターゲットを絞り、「シンプルで開発が容易であること」、そして「コストを抑えること」が目標とされました。
まず当時パソコンで主流となりつつあった3DCGのためのグラフィックプロセッサを開発していた海外のメーカーとの連携が模索されることになり、当時パソコン向けの分野で先行していた北米にスタッフを派遣し開発チームを編成、その一方で、セガサターンまでのノウハウを生かした日本の開発チームも編成し、2つのチームが並走する形で企画が進められることになります。

コードネーム『KATANA』

当初、米国製のビデオプロセッサを用いた北米チームの『Black belt』と名付けられたプランが採用に傾いていましたが、最終的には日本チームの『KATANA』と名付けられたプランが採用されます。
『KATANA』はCPUに『セガサターン』でも使用された日立製のマイコンが使用されました。それがセガのオーダーを取り入れて開発された『SH-4』です。またビジュアル面では、ポリゴンの表面に貼るテクスチャのデータ圧縮能力に優れ、背面に隠れるポリゴン描画を省く手法によって、比較的小メモリかつ低消費電力でパフォーマンスを発揮しやすいVideoLogicとNECによる新モデルのビデオプロセッサ『PowerVR2』。そして音響はヤマハのスーパー・インテリジェント・サウンド・プロセッサという組み合わせでまとまりました。
新規製造のチップが多い分リスクはあるものの、日本での製造が可能、性能面の調整や生産調整がしやすく、将来のコストダウンも踏まえた協力関係を作っていきやすいだろうという判断があったことも選定の理由でした。このプランがまとまったのは1997年のことです。

『KATANA』は協力各社の人材協力を得ながら、急ピッチで開発が進められました。
当時発売日はまだ決定していませんでしたが、次世代機で市場での巻き返しを図るためにも、戦略上、開発はライバル機より先行している必要があると考えられていたためです。
そうして組み上げられた『KATANA』のパフォーマンスは、秒間300万ポリゴン描画(『セガサターン』はテクスチャ付きで10万ポリゴン)、サウンドは64chのADPCMを備える、当時のセガのアーケードシステム基板『MODEL3』をしのぐほどのパワフルなものになったのです。

またシステム開発部の人員も増強されます。開発現場からの声に応えるべく、プログラムライブラリの整備や独自のシンプルなOSを開発、また開発機もよりコンパクトなものを用意するなど“開発のしやすさ”にはこれまで以上に力が注がれたのです。

ユニークなコントローラとビジュアルメモリ

ドリームキャスト・コントローラ

コントローラも独自のノウハウを盛り込んだユニークな構成になりました。
本体に1つ付属するコントローラは、従来のデジタル入力ボタンはもとより、より細やかな操作に対応できるアナログ方向キー(アナログスティック)と、裏側左右にL/Rトリガーを搭載した独特の形状を採用。『セガサターン』の周辺機器としてアナログ入力を実現した『セガマルチコントローラー(マルコン)』の開発を経て生まれたもので、中央上部には大きな窓が設けられていたのも特徴です。



ビジュアルメモリ

コントローラの窓に合わせてセットされるように設計されたのがプレイヤーのデータを保存できる『ビジュアルメモリ』です。上下反転表示できる液晶画面を持っており、ゲーム内でのコンパス表示や簡易キャラクター表示などを可能にしました。
さらにコンパクトなゲーム操作ボタンが装備されており、本体を介してミニゲームをダウンロードすることで、単体で携帯ゲーム機としても機能するものでした。本体に先駆けて発売された『あつめてゴジラ』のように、ミニゲームがあらかじめセットされた単品販売もありました。
ビジュアルメモリの接続ポートにはその他にも振動機能を実現する『ぷるぷるぱっく』、音声入力を可能にする『マイクデバイス』などの拡張オプションが接続可能になっていました。


周辺機器も本体設計と同時に企画が進行し、本体にはコントローラ接続端子を4つ設けられました。『アーケードスティック』や『ガンコントローラ』、『レーシングコントローラ』、『ツインスティック』をはじめ、『つりコントローラ』や『マラカスコントローラ』などの他、簡易テレビ電話を実現する『ドリームアイ』といったこれまでになかったものも生まれました。その多彩さはこれまでに例のないものになったのです。

インターネット通信機能を標準搭載

当時、日進月歩の勢いで進歩していた3DCG向けハードウェアは一気に製品開発が進み、将来的に機能面での差別化は難しくなっていくだろうという予想もありました。
そこで、『KATANA』には、もうひとつ大きな魅力となる機能を取り入れられることが検討されました。それが「プレイ&コミュニケーション」、つまり通信機能の標準搭載です。
ネットワークゲームはまだパソコンを中心に徐々に普及していたという状況で、ゲーム専用機でこの世界を切り開いていくことは、製品寿命を延ばすためにも強力な武器になると考えられたのです。
そこで、メールやウェブブラウザ、電子掲示板などに触れてもらえるような機能をサポートすることで、ユーザーにとって初めてのインターネットデバイスとして導入してもらうことを目指しました。


パンフレット

セガは、『メガドライブ』時代からネットワーク関連への挑戦を続けてきました。しかしそれはあくまで追加オプションであり、他社のゲーム専用機でも同様でした。
その中で得られたノウハウは多くありましたが、乗り越えなければならないハードルも浮かび上がっていました。
ひとつは、ネットワーク接続へのハードルです。
当時、電話回線サービスは品質にもばらつきがあり、パソコンユーザーを中心にようやくインターネットが普及し始めた過渡期だった頃です。まずインターネット未体験のユーザーに、プロバイダ(接続業者)を介し、かつ別途接続料金も必要といった、ネットへの接続の仕組みを理解してもらうことが必要でした。
そしてもう一つ、家庭用ゲームでネットワークを前提としたゲームをどう作るのか?という大きな課題がありました。データ送受信の際に起こる遅延など、ネットワークを想定したソフトウェア開発のノウハウの蓄積や、サーバーなどの設備投資も必要とされました。ネットワーク機能は、ゲーム機の性能向上だけで解決できる問題ではなく、いろんな分野での革新がなければ、『KATANA』が目指す世界にはたどり着けないことを意味していました。

当然、『KATANA』に通信機能を設けることに対して社内からも慎重論が出ていました。
モデム(電話回線を使ってデータの送受信を可能にするハードウェア)については全モデルへ搭載するとその分コストがかかります。しかし未搭載モデルの存在はハードウェアのコンセプトがブレてしまい、ゲームソフトの展開にも影響が出ることは過去の事例からも明らかでした。
「世間の状況が揃ってからモデムを加えてもらうのか?」「全台モデムを積んで状況を変えていくのか?」
最終的にセガが選択したのは後者でした。
国内向けに通信最大速度33.6kbps、海外向けに56kbpsのモデムが『KATANA』全台に搭載されることになったのです。将来のパワーアップ構想なども加味したうえで、本体から脱着できる形で搭載されました。

『KATANA』のコンセプトの大きな柱となるネットワーク機能を使ってもらうために、メーラーとウェブブラウザをひとつにまとめたソフトウェア『ドリームパスポート』の開発も急ピッチで進められました。これを本体にディスクとして同梱する形でインターネット接続やブラウザ、メールサービスなどの機能を提供。『ドリームパスポート』は各ソフトにも標準で組み込まれ、ネットワーク対応ゲームの開発も本格的に始動します。


ドリームパスポート

さらに、ユーザーの理解の促進と負担を軽減するために、セガはプロバイダ事業も手掛けることになります。それが「セガプロバイダ」です。『ドリームパスポート』に「セガプロバイダ」のアクセスポイントのデータをはじめ、世界の提携プロバイダのデータをあらかじめ設定することで、不慣れな人でもネットワーク接続のハードルを下げました。
そして、利用料を無料にすることで、ネットワーク機能に触れてもらうための道筋を作ったのです。

大規模なプロモーション展開と『ドリームキャスト』の発売

次世代機の名前は公募によりDream(夢)をbroadcast(広く伝える)との願いがこめられた『Dreamcast(ドリームキャスト)』と名付けられ1998年5月に発表されました。
『ドリームキャスト』は歴代セガハードの宣伝広告費を大きく上回る費用が投じられ、大規模なプロモーションが展開されます。
5月21日に各紙朝刊に全面広告が打たれ「セガは、倒れたままなのか?」という鮮烈なコピーとともに戦国武士たちが討ち死にした写真の広告が掲載されます。そしてその日の午後に発表会が行われ『ドリームキャスト』が正式発表されます。
さらに翌日22日にも新聞全面広告が掲載され、「11月X日 逆襲へ、Dreamcast。」というコピーで武士たちが一斉に立ち上がるという広告を展開します。
また6月に入ると自虐的ともとれる大胆でインパクトの強い「湯川専務」のシリーズTVCMを開始します。
小学生の子供たちが「セガなんてだっせーよな! プレステのほうがおもしろいよな!」「帰ってプレステやろう~!」などのフレーズをセガの専務に言い放つCMが放送され、話題となります。CMには当時の専務執行役員 湯川英一氏が「湯川専務」として出演、哀愁のある憎めないキャラクターで大きな話題を呼び、『ドリームキャスト』は社会的な盛り上がりを見せていきます。

CM展開での話題作りや、東京ゲームショウなどでハードのお披露目が行われる傍ら、開発・製造が進められました。
しかし、発売前から肝心の『ドリームキャスト』本体の供給体制が整わない自体が生じていました。CPUに採用したマイコン『SH-4』と、ビデオプロセッサ『PowerVR2』の製造ペースがなかなか安定せず、予定していた出荷台数が確保できない状況になっていたのです。
それでもライバル社に対しスタートダッシュでリードを広げたいセガとしては1998年内には発売させる必要がありました。そして当初予定されていた発売日よりやや遅れたものの、1998年11月27日、ついに『ドリームキャスト』は29,800円という価格で船出を迎えたのです。


  • 1998年、ドリームキャスト発売前の東京ゲームショウの様子

  • 発売日に店頭で販売を行う湯川氏

宣伝効果もあり、発売日となった11月27日秋葉原で行われた店頭イベントには、多くの人たちが集まり「湯川専務」自身が手渡しで販売。テレビ・新聞をはじめ多くの取材陣も多く詰め掛けました。
「湯川専務」が大胆にあしらわれたパッケージもこれまでにない試みとして話題を提供。『ドリームキャスト』名義での番組スポンサーなど、発売後もこれまでにない積極的なメディア展開を行っていきます。

アーケードで稼働していた3D格闘ゲームの最新バージョンを移植した『バーチャファイター3tb』、映画とタイアップし『ビジュアルメモリ」を先行販売していた新規開発タイトル『ゴジラ・ジェネレーションズ』のセガの2タイトルと、『ペンペントライアイスロン』、『July』のサードパーティ2タイトルが本体と同時に発売。
その後12月にリリースされた『ソニックアドベンチャー』など、本体発売後、最初の年末商戦では発売タイトルは計8作、本体製造が追いつかない事態になりながらも『ドリームキャスト』は40万台ほどを売り上げました。


  • バーチャファイター3tb

  • ソニックアドベンチャー
セガハード最高となるソフトラインナップ

セガラリー2

迎えた1999年、WindowsCEを採用した初の通信対戦対応タイトル『セガラリー2』が登場します。さらに、つりコントローラ対応の『ゲットバス』、『MODEL2』タイトルを素早く移植した『ダイナマイト刑事2』がリリースされた頃、本体価格を19,900円へと値下げし、一層の普及を狙いました。
サードパーティタイトルでも、ネットワーク対戦を実現した『フレームグライド』(フロム・ソフトウェア)の登場や、『サイキックフォース2012』(タイトー)、『ソウルキャリバー』(ナムコ)などのアーケードの対戦ゲームが『ドリームキャスト』向けに登場し、話題となりました。

さらに年末には『セガサターン』時代から開発を続けてきた大作が登場します。
それが『シェンムー 一章 横須賀』です。1999年末に発売された本作は、『バーチャファイター』シリーズで培われたテクノロジーを発展させ、3DCGキャラが3D構造で構成された横須賀の町で物語を繰り広げる、かつてない規模で制作されたものでした。本作で表現されたオープンワールドの概念はこれまでにないもので、後のゲーム業界に大きな影響を与えるものになったと言われています。


  • シェンムー 一章 横須賀

  • シェンムーⅡ

マイクデバイス

そして、独特の風貌で話題を呼んだ知的生命体『シーマン』(ビバリウム)も忘れてはなりません。マイクデバイスと音声認識技術、そしてユーザーのプレイ履歴などを使った多彩な会話とその風貌が話題となり、TV番組でも多く取り上げられ、それまでのゲームユーザー以外にも広く認知されました。限定版本体も発売された本作は、『ドリームキャスト』最大のヒット作となりました。
他にも話題作が多く集まり、1999年は100タイトルを超えるソフトがリリースされるに至りました。


  • スペースチャンネル5

  • あつまれ!ぐるぐる温泉

  • ルーマニア#203

  • ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド

  • サンバDEアミーゴ

  • ジェットセットラジオ

  • ダビつく ~ダービー馬をつくろう~

『ドリームキャスト』のハードウェアをベースにしたアーケード向けシステム基板『NAOMI』は、1998年秋に一般にお披露目され、同年『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド2』と『ダイナマイトベースボール'98』を皮切りにゲームセンターに登場しました。
『NAOMI』と『ドリームキャスト』により、アーケードと家庭用ゲーム機のスペックがほぼ並んだことになったのです。
これにより、カプコンの『パワーストーン』をはじめ、1999年から『NAOMI』タイトルと『ドリームキャスト』向けの家庭用ソフトがかなり近い時期にリリースされ始めます。さらに、『MODEL3』までの過去タイトルを含め、業務用とそん色のない内容、かつ家庭用向けにゲームモードなど追加要素が加えられる「パワーアップ移植」が実現するという時代が到来しました。

『セガサターン』で人気となった『サクラ大戦』シリーズも2000年よりキャンペーンを展開。『花組対戦コラムス2』のリリース、『サクラ大戦』と『サクラ大戦 2 ~君、死にたもうことなかれ~』が『ドリームキャスト』に移植され、2001年には舞台を巴里に移した新作『サクラ大戦3 ~巴里は燃えているか~』が登場するに至ります。


ファンタシースターオンライン

また2000年末に登場したオンライン対応RPG『ファンタシースターオンライン』は1人でも遊べ、さらに4人まで同時に戦えるアクション要素の強いオンライン共闘プレイが可能でした。
以降のオンラインRPGにも大きな影響を与えたといわれる本作は、身長や体形を変化させられるキャラクタークリエイト、多言語に対応したワードセレクトシステムやシンボルチャットによるコミュニケーション機能など、初めてオンラインRPGに触れるユーザーのための工夫が多数盛り込まれていたのも特徴でした。
別売とされた『ブロードバンドアダプタ』にも対応し、翌年には遊びごたえを増した『Ver.2』もリリース。20万人以上のプレイヤーに遊ばれ、家庭用ゲーム機のオンラインRPGとして初の成功事例となったといえるでしょう。第5回日本ゲーム大賞をはじめ、第5回文化庁メディア芸術祭審査委員会特別賞、AMD Award BestProgrammer賞などをはじめ、ユーザーからも識者からも評価されています。

ソフトラインナップ拡充の裏で

話題性のあるプロモーションなどで発売前から『ドリームキャスト』は大きな期待を集めましたが、ライバル社がしのぎを削る状況下で、発売初期の段階でハード本体の製造が間に合わず供給が十分にできなかったことは大きな痛手となり、前作の『セガサターン』発売の時のような勢いを生み出すことができませんでした。

またソフトのリリース数は過去最多となりましたが、前作でメガヒットとなった『バーチャファイター2』や『サクラ大戦』といった爆発的にハードをけん引するほどのタイトルは生れませんでした。
2000年にはソニー・コンピュータエンタテインメント(現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント)から『PlayStation®2』が発売され、サードパーティの確保をはじめとした世界規模での厳しいシェア争いが始まります。
『ドリームキャスト』は1999年に北米をはじめ海外での販売がスタートしており、『SEGA SPORTS』ブランドの『NFL2K1』や『NBA2K1』などをリリースすることで一定の評価を得ることができましたが、すでに前作の『PlayStation®』で圧倒的なシェアを積み上げていた『PlayStation®2』に苦戦を強いられます。

そのような状況の中で、立ち上げ時のCM大量投下をはじめとした巨大な広告宣伝費、早期の値下げによる開発コストの回収の遅れや、『セガプロバイダ』など従来機とは異なる周辺環境の整備にかかるコストの影響は、セガの企業体力にも大きな影響を与える規模に膨れ上がっていたのです。

家庭用ハード事業から撤退

2000年末商戦の結果を受けて、翌2001年1月31日にセガは「構造改革プラン説明会」を開催し『ドリームキャスト』の製造中止を発表。家庭用ハード事業から撤退を宣言しました。
同時に「コンテンツプロバイダ」として、セガのゲームタイトルの他社ハードへの供給を行っていくことを発表しました。

コンテンツプロバイダへの転換と並行し、3月には『ドリームキャスト』の価格を9,900円へと下げ、インターネット上で本体や周辺機器、ゲームソフトを扱うeショップサイト『ドリームキャストダイレクト』を中心に販売を継続。2002年の『サクラ大戦4 ~恋せよ乙女~』などソフトの供給はその後も続き、セガ最後の家庭用ゲーム機『ドリームキャスト』は累計1,000万台あまりが世に送り出されました。

『ドリームキャスト』が残したもの

セガは家庭用ハード事業から撤退。『ドリームキャスト』はセガ最後のハードとなりました。

しかし『ドリームキャスト』で採用されたハードウェアは、業務用において『NAOMI』の後継となる『NAOMI2』へと発展し、GDドライブとともに2009年ごろまで新作タイトルがリリースされる息の長い製品となりました。
またCPUに採用された『SH』シリーズは携帯電話の分野で、ビデオプロセッサの『PowerVR』シリーズもスマートフォンの世界で、それぞれ後継モデルが成功を収めています。
また『ファンタシースターオンライン』を筆頭に、『ドリームキャスト』で登場したゲームの系譜も様々なプラットフォームで引き継がれ、今も多くのユーザーに愛されています。

ネットワーク分野に活路を見出した『ドリームキャスト』を世に送り出したセガ、そして関連企業のテクノロジーやノウハウは、その後の世界に活かされ、今なお発展し続けているのです。