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セガハードストーリー

第5回

家庭用ゲーム機新時代の幕開け『セガサターン』

2018.03.01 掲載

今回ご紹介する『セガサターン』が発売された1994年は松下電器の『3DO REAL』、ソニー・コンピュータエンタテインメントの『PlayStation®』、NECホームエレクトロニクス『PC-FX』(以下、会社名はいずれも当時のもの)が発売されるという未曽有の家庭用ゲーム機ラッシュとなり、1996年に発売された任天堂の『NINTENDO 64』とあわせ、ゲーム業界はもとより世間一般でも大いに盛り上がりを見せた時代でした。
いわゆる『次世代機戦争』です。


家庭用ゲーム機の決定版を目指して開発がスタート

セガサターン

セガ6番目の家庭用ゲーム機開発のコードネームは太陽系6番目の惑星「土星」=「サターン」と名付けられました。
コードネーム『サターン』の開発プランは、設計開始当初、これまでのセガの家庭用ゲーム機路線の決定版と言えるものを目指してスタートしました。
アーケード向け業務用システム基板『SYSTEM32』を開発したチームにより、スプライト機能(画面上で動く図形を表現する手法)が最大限強化され、ビジュアルに関する性能が各段に進化しました。


セガサターン専用CD-ROM

『メガドライブ』+『メガCD』で実現されたスプライトの回転、拡大、縮小機能はもちろん、それまでの家庭用ゲーム機で起こっていたスプライトを横に多数並べた時のちらつきや、1画面に並べられる枚数の限界をほぼ解消。BG(背景)面も回転、拡大、縮小機能などを持ち、当時の業務用システム基板を超える機能が盛り込まれました。
またコストが高騰していたROMカートリッジに代わり、『メガCD』でも採用された大容量かつ普及が進んで値段の下がりつつあったCD-ROMによるソフト供給も早い段階から決定されました。

対戦格闘ゲームの隆盛と『バーチャファイター』の登場

ここで少し当時のアーケードゲームへ目を向けたいと思います。
1990年代、特にカプコンが1991年にリリースした『ストリートファイターⅡ』をきっかけに、キャラクターとキャラクターが格闘技を駆使して戦う、対戦格闘ゲームがブームを巻き起こしていました。
他社もこれに追随。特に短時間で勝敗が決した対戦格闘ゲームはインカム(売上)もよく、ゲームセンターの活性化に大きな貢献を果たしました。


バーチャファイター

ブームのさなかとなる1993年、セガがアーケードゲームとして投じたのが『バーチャファイター』でした。それまでのスプライトと背景によるグラフィックとは異なり、多角形(ポリゴン)を組み合わせた立体で構成されたリアルタイム3次元コンピュータグラフィック(3DCG)で人体やステージを創造。2次元であるディスプレイ内に立体を感じさせるビジュアルと動きのリアリティが話題となります。
ポリゴンによるリアルタイム3DCGは、それまで主にメカを中心に製品化されていましたが、セガは『バーチャレーシング』におけるピットクルーなどで実験を重ねた結果、『バーチャファイター』において人体を再現することに成功。さらなる発展を遂げたのです。

これを実現したのが、米GE Aerospace社とセガが共同開発した業務用システム基板『MODEL1』でした。
この『MODEL1』から始まり、後継となった『MODEL2』で大きく花開いたリアルタイムCGの世界が、設計中の家庭用次世代ゲーム機にも大きな影響を与えることになります。


ポリゴンで作られたキャラクター3面図とモーション資料
過去に類を見ない豪華なハードウェア構成に

当時、次世代機の開発において1番の課題となったのは、“今後、これまでと同じ手書きによる2D(二次元)の映像と、3DCG映像のどちらが主流となっていくのか?”ということでした。
コードネーム『サターン』も『メガドライブ』までと同様、発売されてから数年をかけて普及、開発費を回収しながら売り上げを立てていくビジネスモデルを想定しており、そのため、発売後もユーザーニーズに耐えられるよう、数年先を見据えた設計が求められました。

開発途中の市場調査では、まだ2D映像のゲームが主流を占め、またリアルタイム3DCGを実現するためのハードウェアには、それまで以上の演算能力が求められます。2D映像ゲームに慣れていた開発スタッフの意識や作業プロセスにも大きな変革が必要とされ、3DCGへのハードルは決して低いものではありませんでした。
しかし当時、CPUをはじめ、ハードウェアの進歩は目覚ましく、また3DCGはゲームだけでなく、映像産業をはじめ、他の産業にも大きな影響を与え始めており、先の見通しが難しくなっていた時期でもありました。

また、CD-ROMの採用により、大容量のデータを扱えるようになったことで、オープニング演出としてムービーが使われたり、ゲーム内にもムービーが使われるようになったことで、映像制作・編集といった技術も求められるようになっていました。


セガサターンのハードウェア

このような複雑な情勢の中で、2Dグラフィック機能の決定版を目指して開発されていたコードネーム『サターン』は、将来を見据え3DCGを実現するための機能を加えることになりました。
具体的には、スプライトを変型させることで奥行き表現に対応させるという手法が組み込まれ、さらに、CPUには日立製の『SH-2』という、同クラスの製品の中でもパフォーマンスに優れたマイクロコントローラ(※1)が採用されました。
『SH-2』はセガからのオーダーにより動作速度や演算機能を向上させただけでなく、2つのCPUを繋いで動作させることにより性能を向上できることができ、結果2基の『SH-2』が搭載されることになりました。
また、倍速読み出し可能なCD-ROMドライブの制御には、『SH-2』の前モデルとなる『SH-1』が使われ、音源の制御には『MC68EC000』というCPUが採用されるなど、最終的に『セガサターン』はこれまでのゲーム機とは比較にならない豪華なハードウェア構成となっていったのです。

※1 CPUおよびメモリやインターフェイス機能を1つのチップに収めたもの

CD-ROMから読み出される大量のデータをストックするためのRAMも512KB搭載されるなど、メモリにも当時としてはコストがかけられ、家庭用ゲーム機開発で得られたノウハウと、アーケードゲーム開発での3DCGを実現するためのノウハウがひとつに集約された設計となっています。
また、カートリッジスロットも搭載されており、ゲームのセーブデータを記録する『パワーメモリー』を接続できるようにしました。将来的に『メガドライブ』との互換アダプタも想定されていましたが、実現はしませんでした。


  • (3DCGの実現:参考)
    「クロックワークナイト~ペパルーチョの大冒険・下巻~」ゲーム画面

  • (3DCGの実現:参考)
    「ファイティングバイパーズ」ゲーム画面

このような過程を経て、32bit世代の次世代家庭用ゲーム機『セガサターン』は1994年11月22日に発売されました。製品名にはコードネームがそのままスライドする形で採用されました。
過去に例を見ない豪華なハードウェア構成はコストに跳ね返る形になり、『メガドライブ』では21,000円だった本体価格は、『セガサターン』では44,800円となりました。

アーケード部門と家庭用部門の社内連携

『セガサターン』は、ゲームソフト開発においても、それまでとは異なる体制で取り組む必要がありました。
前述のとおり、それまでの2Dゲームと3Dゲームでは開発者に必要とされるノウハウが異なったこと、そして多数のCPUで構成されたマルチプロセッサの使いこなし、CD-ROMの扱い方など、新たなデバイスの開発で得られた知見をまとめ、ゲームソフト開発の効率を高めることが必要とされたからです。

『バーチャファイター』を開発したAM2研により、『セガサターン』版『バーチャファイター』及び続編となる『バーチャファイター2』の制作が進められることで『セガサターン』における3DCGゲームの開発とマルチプロセッサを使いこなすノウハウが蓄積されました。
一方で家庭用の開発チームであるCS開発部ではCD-ROMを使ったゲームの開発ノウハウがまとめられ、実写を多用した『ワンチャイコネクション』や奥行きの仕掛けを盛り込んだアクション『クロックワークナイト~ペパルーチョの大冒険・上巻~』などの開発とともに、基本的なプログラムコードを新たに設立されたシステム開発部門によってライブラリの形にまとめていきました。
16bit時代とは比較にならないほど複雑かつ大規模化したソフト開発と、『セガサターン』の多数のプロセッサを制御するためのノウハウをまとめることは、セガ社内での開発促進だけでなく、ライセンシーとなる他社に『セガサターン』のソフト開発に参入してもらうためには必須でした。


  • バーチャファイター2

  • クロックワークナイト~ペパルーチョの大冒険・上巻~

一方、セガは、CD-ROMによるゲームソフトの製造コストダウンとあわせ、流通コストを下げることを狙って『セガ・ユナイテッド』を設立。ゲームソフト流通にも本格的に参入し、『メガドライブ』後期には8,000円近くにまで上昇していたソフトの価格を下げるべく動きます。
本体と当時発売だった『バーチャファイター』、『ワンチャイコネクション』は7,000~8,000円台となりましたが、その後発売されたタイトルは5,000円~6,000円台のプライスゾーンに落ち、ソフト開発は大規模化したにも関わらず、ソフト単価は下がっていきました。
また、CD-ROMはROMカートリッジと異なり、幅広い工場での生産が可能で、ライセンシー参入の促進にも寄与しました。

セガハード史上最速の国内100万台達成と、層の厚いタイトル群

アーケードに衝撃を与えた3DCG格闘ゲーム『バーチャファイター』を本体同時発売として話題を呼んだ『セガサターン』は、1994年内に50万台を販売。発売から約半年後には、国内で100万台を出荷するという、これまでにない勢いを生み出すことに成功します。
さらに1年後の1995年12月には、『バーチャファイター2』を市場に投入。最新バージョンとなる『2.1』を収録したこともあり、発売時から爆発的なヒットを飛ばし、『セガサターン』国内市場初のミリオンヒット(100万本出荷)を達成することになったのです。
ほかにも、『デイトナUSA』や『セガラリー・チャンピオンシップ』、『ファイティングバイパーズ』、『電脳戦機バーチャロン』などなど、アーケード最新システム基板『MODEL2』からの移植タイトルは『セガサターン』ヒットのけん引役となりました。


  • デイトナUSA

  • ファイティングバイパーズ

  • 電脳戦機バーチャロン

家庭用のCS研究開発部の手によるタイトルも、1995年3月の『パンツァードラグーン』、9月の『ワールドアドバンスド大戦略 ~鋼鉄の戦風~』、1996年2月には『Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!』、3月には『新世紀エヴァンゲリオン』、『パンツァードラグーン ツヴァイ』、1996年7月には『NiGHTS into dreams...』といった記憶に残る作品が登場しており、後に続くセガブランドIPが続々と生まれていきます。


  • パンツァードラグーン

  • ワールドアドバンスド大戦略 鋼鉄の戦風

  • NiGHTS into dreams...

中でも最大のヒットとなったのは1996年9月に発売された『サクラ大戦』でしょう。
初の初回限定版も用意された同作は、会話主体のアドベンチャーゲームとシミュレーションゲームの戦闘シーンを融合させたシステム面のとっつきやすさと、魅力あふれる『帝国華撃団』のキャラクターが人気を呼び、50万本を超える売れ行きを示し、ゲームのみならず舞台やアニメへの展開など、新たなセガファンを生み出すきっかけとなりました。
続編となる『サクラ大戦2 ~君、死にたもうことなかれ~』も1998年4月にリリースされています。


  • サクラ大戦

  • サクラ大戦2~君、死にたもうことなかれ~

また、積極的なライセンシー参入を働きかけた結果、光栄、コナミ、カプコン、タイトー、テクモ、バンダイなど大手メーカーが『セガサターン』に参入。本体発売翌年の1995年から積極的にソフトをリリースし始めます。
特に“最強の2Dハード機”と未だに語られる2D機能を活かした対戦格闘ゲームやシューティングゲームなど、アーケードで実績を築いたタイトル群が『セガサターン』でリリースされたことは大きく、さらにSNKとのクロスライセンス契約などに後押しされ、カートリッジスロットに別売のRAMカートリッジを増設することにより、アーケードとそん色ないクオリティの移植タイトルが制作されました。
結果、参入メーカーは100社余りとなり、『メガドライブ』世代よりもさらに数多くの1,000に迫るタイトルが国内向けにリリースされることになったのです。

『メガドライブ』でチャレンジしていた通信回線を利用したサービスは『セガサターン』でも『X-BAND』サービス(※2)を引き継ぐ形で1996年より『セガサターンモデムキット』を発売。『バーチャファイターリミックス for SEGANET』や『セガラリー・チャンピオンシッププラス』、『電脳戦機バーチャロン for SEGANET』などで通信対戦サービスを提供しました。
さらに、富士通と共同で、家庭用ゲーム機初のネットワーク型ロールプレイングゲームとして『Dragon's Dream』のサービスを1997年12月より提供。ネットワークを介して仲間とダンジョンを探索するRPGの世界をスタートさせています。プレイ料金が従量課金制だったということもあり、2年でサービスを終了しますが、ネットワークを介した新たなチャレンジが『セガサターン』の時代にも行われていたのです。

※2 米Catapult Entertainmentによって提供されていた家庭用ゲーム機向け通信対戦・メールサービス。
別売のモデムが必要だった。

『スーパー32X』の投入。ヒット市場を守るために生まれた「迷い」

スーパー32X

話はさかのぼりますが、コードネーム『サターン』のプランが進行する中で、もうひとつ大きな課題となったのは『GENESIS』が大ヒットしていた北米市場でした。
『メガドライブ』の翌年発売された『GENESIS』は売上を伸ばし続けており、当時のアメリカ法人からは高価な『セガサターン』に切り替えるには、市場環境の違いから時期尚早という見方がありました。そんな提案に応えるべく、『GENESIS』のパワーアップアダプタとして、急遽生まれたのが『スーパー32X』でした(北米での名称は『SEGA 32X』)。


スーパー32X専用ROMカートリッジ

『セガサターン』と同じ『SH-2』を2基搭載しグラフィックを大幅に強化。ポリゴン描画にも対応し、『メガドライブ』と『メガCD』も組み合わせて動作させることができるよう設計された『スーパー32X』でしたが、『セガサターン』とのソフトウェアの互換性はなく、ゲームソフトは独自に制作されROMカートリッジで提供されることになりました。
9か月という短期間で設計された『スーパー32X』は、北米で1994年11月、日本では『セガサターン』の発売より後となる同年12月に発売されることになったのです。

『スーパー32X』はアーケードゲームの移植作を中心にソフトが揃っていきますが、肝心の北米でも1995年5月には『セガサターン』が投入された影響もあり、ライセンシーもユーザーもどこに注力・注目すべきなのか迷ってしまうことに繋がりました。
それまでライバルを追いかけていたセガが『GENESIS』のヒットで築き上げた市場を守るという初めての岐路に立たされた結果生まれた迷いが、その後の『セガサターン』にも影響を与えることになります。

結果、『セガサターン』へソフト開発を一本化することになり、1995年内で『スーパー32X』の展開は終わりを迎えることとなります。

国内で実績を残した『セガサターン』だが…

日本市場で早い立ち上げを成功させ、ソフトラインナップもこれまでにない規模で実現できた『セガサターン』は国内で600万台以上を出荷し実績を残しました。
しかし、一定のゲームファンの支持を得られたものの、ソニー・コンピュータエンタテインメントの『PlayStation®』をはじめ、数多く登場したライバルハードとのライセンシー確保争いなどもあり、その勢いを継続していくこと、特に新たな顧客層を掴むのに苦労しました。

また、『GENESIS』世代では大ヒットとなった北米、欧州での市場において、『セガサターン』は前述の混乱から、海外でのけん引役となった『ソニック』シリーズの投入の遅れや豪華なハードウェア構成による高価格もあり、その勢いを引き継ぐまでには至りませんでした。


セガサターン(後期型)

コストダウンのため2基の『SH-2』を1つのチップに集約するなどし、1996年に日本では初代機の約半額となる20,000円の価格で後期型が発売されましたが、家庭用ゲーム機市場は日本をはじめ世界中で以前とは比較にならないほど大きく、その変化はスピーディになっていました。
特に、3DCGゲームは、開発中の予測を大きく超えて普及していき、その流れの中で『セガサターン』は発売当初の勢いを維持するのが難しい状況になっていったのです。

その結果、セガは後継機『ドリームキャスト』の投入を急ぐことになるのです。

「第6回」へ続く