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セガハードストーリー

第3回

“時代が求めた16ビット” 『メガドライブ』

2017.10.27 掲載

『セガ・マークⅢ』/『マスターシステム』でセガの家庭用ゲーム機への挑戦は世界中で一定の成果を上げました。
ソフト交換式家庭用ゲーム機の市場も盛り上がりを見せ始めたこの時代、セガはさらに高機能なハードウェアに取り組んでいきます。
それが『メガドライブ』の時代です。
第3回となる今回は、家庭用ゲーム機の話をする前に、まずセガが行っていたもう1つの事業、業務用アーケード機のお話から始めます。


先を進むアーケードマシンの性能

セガは業務用アーケード事業と家庭用ゲーム事業の両方を手掛けていました。
第2回ハードストーリーでもご紹介したように、当時のアーケードゲームは、その性能において家庭用ゲームの1歩も2歩も先を行っていました。
業務用マシンには当時としてはとてもハイスペックな『MC68000』という16bitのCPUが使われていました。
情報処理の中枢であるCPUが8bitから16bitへと進化することで、より高品質なゲームを楽しむことができるようになっていたのです。

『ハングオン』をはじめとするブームを巻き起こしたセガの体感ゲームマシンは 開発を進める度にその『MC68000』が1つならず2つ3つと、複数搭載されるようになり、高速に展開するゲームを支えていたのです。
映像処理でも大きく家庭用ゲームを上回っており、スプライト機能(画面上で動く図形を表現する手法)において、同時表示枚数の増大、拡大回転縮小機能、奥行きへの対応など、セガ独自の技術追求の結果、高速にキャラクターを重ね合わせることによる疑似3Dで、奥行き進行型ゲームを実現していました。

こうして16bitCPUのプログラミング資産はセガに着々と蓄積されていきました。

世界に先駆けた16bitハード機『メガドライブ』誕生

このようなアーケードの流れの中、1986年セガは次の世代の家庭用ハードウェア開発に取り掛かります。
それが『メガドライブ』です。
SG-1000から数えて5代目の家庭用ゲーム機ということで『マークⅤ』というコードネームで開発が進められました。


  • メガドライブ設計図

  • メガドライブ設計図

開発における最大の争点はやはり、ハードの頭脳であるCPUに8bitと16bitのどちらを採用するかという点でした。
すでに家庭用ゲーム機への採用の実績があり比較的安価な8bitCPUを採用するか、アーケードマシンで主流になりつつあったコストの高い16bitCPUを採用するか、最終決定までには時間を要しましたが、ハードの本体価格を抑えるため『MC68000』をそれまでに類を見ない大量の発注をかけることでコストダウンを図ることで採用にこぎつけたのです。
このCPUの採用はパソコン/ゲームマニアの大きな注目を集めました。
それに加え前作の『マスターシステム』に使われていた『Z80』というCPUも合わせて搭載。これにより、周辺機器『メガアダプタ』を接続することで過去のゲームもプレイできるようになりました。


曲線を多用したコントロールパッド

映像処理性能もギリギリの調整を行ない、スプライト機能は80枚同時表示を可能にし、上下左右にスクロールできる背景を2枚搭載することで、今までアーケードマシンでしか再現できなかったスピード感があり自由自在に動く爽快なビジュアルに近づけることができました。

コントローラは『セガ・マークⅢ』/『マスターシステム』からさらに発想を広げ、曲線を多用した待ちやすい独自形状を提案、ゲームの多様化も考慮しA、B、Cの3ボタン仕様になりました。


こうして機能とコストのバランスをギリギリまで調整・追求した『メガドライブ』は1988年10月29日に発売され、世界初となる16bitCPUを搭載した家庭用ゲーム機となったのです。
当時としては大容量の“メガ容量カートリッジをドライブする”というところから名付けられた『メガドライブ』は、ハード本体にゴールドの「16-BIT」の文字を刻み、TVCMは“時代が求めた16ビット”というキャッチフレーズで世界に先駆けた16bit機である事をアピールしました。

本体は発売後すぐに売り切れる好発進ぶりでした。
ソフトは本体発売日に『スペースハリアーⅡ』、『スーパーサンダーブレード』、年内に『獣王記』『おそ松くん はちゃめちゃ劇場』とセガタイトルが並んだものの、ハード仕様の最終決定が発売ギリギリまでかかった影響もあり、ゲームソフトのリリースは翌1989年から本格化していきます。


  • スペースハリアーⅡ

  • スーパーサンダーブレード

  • 獣王記
変化するソフトライナップと開発会社の参入

『メガドライブ』でのセガのゲームソフトラインナップには、それまでの「アーケードゲームからの移植作」と「家庭用オリジナルタイトル」の比率に変化が見られます。
多数のソフトが『メガドライブ』向けに発売されましたが、セガ発売のゲームソフトにも『アレックスキッド 天空魔城』、『ファンタシースターⅡ 還らざる時の終わりに』、『ザ・スーパー忍』といった家庭用オリジナルタイトルの充実ぶりが目立っていきます。


ヴァーミリオン

元来セガハードのウリだった「アーケードゲームが家庭で遊べる」という魅力に加え、家庭用オリジナルタイトルが充実した背景には、家庭用ゲーム市場の拡大があります。
セガ社内では家庭用ソフト開発スタッフの増強のほか、12月に発売された『ヴァーミリオン』のように、アーケードゲームを制作している「AM2研」の手による家庭用オリジナルタイトルが登場するようになりました。
また、セガが販売を行い開発を別会社が行う「セカンドパーティ」の強化や、販売も制作も別会社が行う「サードパーティ」も増加、家庭用ゲーム市場の拡大につれ、『メガドライブ』にソフト開発会社が集まり始めます。

1989年にはテクノソフトから『サンダーフォースⅡ MD』、『ヘルツォーク・ツヴァイ』の2タイトルが発売。その後もアスミック、メサイヤ、ウルフチーム、光栄など、数多くのパソコン/家庭用ソフトメーカーが参入していきます。
1988年終盤にはセガ社内にセカンド/サードパーティを担当する渉外部署も発足し、開発会社と手を組み、合同で会社を設立する手法で、セガ社外の開発チームをサポートしながら『ソーサリアン』など著名タイトルをリリースしていきます。
セガ以外のタイトルは年々増え続け、タイトー、ナムコ といったアーケード業界でセガとライバルとなっていたメーカーも参入し、1989年ごろにはセガよりもセガ以外のタイトルが多くなっていくのです。


  • サンダーフォースⅡ MD

  • ヘルツォーク・ツヴァイ

『メガドライブ』では『ぷよぷよ』/『ぷよぷよ通』や『コラムス』、『アドバンスド大戦略』『ベア・ナックル』シリーズなどのヒット作が登場。『シャイニング・フォース』シリーズ、『ランドストーカー』、『ガンスターヒーローズ』といったセカンドパーティ開発タイトルとともに、ユーザーの記憶に残る名作も続々と発売された時代でした。


  • ぷよぷよ

  • ぷよぷよ通

  • ベア・ナックルⅡ 死闘への鎮魂歌

  • ランドストーカー

  • ガンスターヒーローズ
『ソニック』誕生!『GENESIS』の北米メガヒット


GENESIS

日本での発売から約1年後の1989年、『メガドライブ』は「16bit市場を創世する」という意味を込めた『GENESIS』として北米で発売されます。
日本向けに先行して発売していたこともあり、北米向けタイトルはリリース序盤からラインナップを着々と揃えることができました。



ソニック・ザ・ヘッジホッグ

そして1991年夏、サイドビューアクションゲーム『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が登場します。
海外、とくに北米を強く意識してデザインされたキャラクターや世界観、リングがゼロにならなければミスにならない初心者にやさしいゲーム設定、丸くなってジェットコースターをほうふつとさせるスピード感など、独特のプレイ感覚を実現。
現地法人を立て直し、本格的に販売攻勢をかけて臨んだ北米市場では、徹底したライバル機との比較広告など、クールなイメージを推し進めたパブリシティ戦略も奏功し、世界同時発売となった続編『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』のリリースとともに、『GENESIS』は北米で家庭用16bitゲーム機ナンバーワンの地位に上り詰めました。
北米において『GENESIS』、セガ、『ソニック』の名は圧倒的に広まっていったのです。

この北米での成功により、国内はもとより海外のソフト販売・開発会社の参入がさらに促進され、著名人のIP(Intellectual Property=知的財産権)を活用したゲームの開発もさらに加速。多彩なジャンルのゲームが『メガドライブ』および『GENESIS』向けに制作され、『ソニック』シリーズをはじめ100万本以上売り上げるミリオンセラータイトルが多数登場するのです。

後年、32bit世代の家庭用ゲーム機が登場してからも、『GENESIS』は16bit家庭用ゲーム機として息長く販売され、北米で1,500万台以上を販売しました。
欧州でも1990年に『Mega Drive』として発売。800万台以上を売り上げました。

『MASTER SYSTEM』と同じように、南米ではTectoy社により『Mega Drive』が流通。こちらも現地製造により価格を抑える戦略が当たり、2000年代まで製造が続けられるほどのロングセラーハードとなります。

『メガドライブ』その後の展開


ファイティングパッド6B

1993年には、小型化、省コスト化し、ステレオ音声出力を標準化した『メガドライブ2』が登場。
コントロールパッドが6ボタンとなった『ファイティングパッド6B』が同梱されました。
また、1991年には日本IBMとの共同開発でパソコン『テラドライブ』が発売。IBMのパソコンと『メガドライブ』の機能を本体に共存させた設計により、両機能は独立して動作。アナログRGB接続によるにじみの少ないディスプレイ表示でゲームが楽しめました。



メガドライブ+メガCD

この時期、2 → 4 → 6 → 8 → 16Mと倍々ゲームで増えていった大容量ROMの価格高騰は、もはや避けられない状況になっていました。
それと並行して、1980年代には大容量の新たな記憶媒体「コンパクトディスク(CD)」が登場します。
セガでもCDを記憶媒体としたCD-ROMゲームソフトを供給するプランが持ち上がり、『メガドライブ』の大型拡張ユニットとして企画されたのが『メガCD』です。
『メガCD』は、単にCD-ROMでのソフト供給だけでなく、本体のパワーアップ機能として、『メガドライブ』よりさらに高速化、映像処理や音源も大幅パワーアップされました。
高機能化により本体も大型化し、『メガドライブ』本体下に敷く形で接続することになりました。
その後、『メガドライブ2』用の小型版も別途販売されました。


ゲーム図書館

『メガドライブ』でセガは通信回線を活用したサービスにも挑戦しています。
1990年に周辺機器として、『メガモデム』を発売。このモデムにより『メガドライブ』に通信回線を通じてソフトをダウンロードして遊べる定額制のサービス『ゲーム図書館』をスタートさせました。

このほか、ケーブルテレビ回線を利用した『セガチャンネル』サービスも手掛けています。
専用のレシーバーカートリッジを本体に装着することで、30本前後のタイトルが遊べるというもので、こちらも月額定額制でした。
このサービスはCATVが発達していた北米や欧州でも展開され、一定の成果をあげました。

セガは『メガドライブ』を通して、「ダウンロード」や「月額制」といった現在盛んなビジネスモデルを、1990年代にすでに行っていたのです。

加熱していく家庭用ハード戦線

『メガドライブ』は日本において300万台以上が販売されました。
1980年代後半~1990年代前半は、任天堂の『ファミリーコンピュータ』や『スーパーファミコン』、そしてNECホームエレクトロニクスの『PCエンジン』 など、家庭用ゲーム機がさらに普及、各社がしのぎを削って盛り上がりを見せた時代でした。
国内での販売台数はライバル機種の牙城を崩すには至りませんでしたが、『メガドライブ』はセガとして初めて国内100万台以上が出荷された家庭用ハード機となるとともに、本格的に多くのソフト開発会社が参入したセガハードと言えます。

また16bit機として他に先駆けて発売された先行者としてのアドバンテージを活かし、北米での成功をはじめ、ソフトのミリオンセラーを生むなどセガの名を世界に広め、大きな飛躍を遂げることができました。

『メガドライブ』/『GENESIS』の成果により、セガは家庭用ゲーム機への新たな取り組みに挑戦することになります。
それが携帯ゲーム機『ゲームギア』です。

「第4回」へ続く