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セガハードストーリー

第1回

セガはなぜ家庭用ゲームに参入したのか?

2017.07.14 掲載

このコーナーでは「セガハードヒストリー」と題しまして、家庭用ゲーム機のハードメーカーとしてセガがどう成長し、躍進していったのかをひも解きます。
アーケードゲームを手掛けていたセガはどうして家庭用ゲーム機に参入したのでしょうか? 第1回となる今回は、当時の開発エピソードなどを交えながら、初めてセガが家庭用ゲーム機戦線に参入した経緯をご紹介します。


セガの成長はアーケードゲームの開発とともに


株式会社セガ・エンタープライゼス時代の本社社屋

日本でカラーテレビの本放送が開始され、ダッコちゃん人形が大流行した1960年(昭和35年)。セガの前身となる日本娯楽物産(株)が誕生しました。
ジュークボックスやピンボールを取り扱う会社として出発したセガは、その後、日本機械製造(株)や(有)ローゼン・エンタープライゼスを吸収合併し、1965年には株式会社セガ・エンタープライゼスとして業務用アミューズメント機器の製造、施設の運営を開始します。
翌年には潜望鏡をのぞき込んで戦艦を撃墜する『ペリスコープ』をリリースし、世界的にヒットを記録。エレクトロメカニカルマシン、通称エレメカと呼ばれる遊戯機器の製造販売で一躍世界に躍り出ることとなりました。

その後、1972年のアメリカのアタリ社からアーケードビデオゲームの祖と言われる『ポン』が登場したことや、1978年のタイトー『スペースインベーダー』の大ヒットを契機に、セガはアーケードゲームの中でも、コンピュータを使ったビデオゲーム開発へと舵を切っていきます。
米グレムリン社(のちのセガ・エレクトロニクス)を買収、ビデオゲーム開発のノウハウを蓄え、初のオリジナルアーケードビデオゲーム『ヘッドオン』を1979年にリリース。さらにレースゲーム『モナコGP』などを次々にリリースし、業界で存在感を示していきます。


  • ペリスコープ

  • ヘッドオン

  • モナコGP

1983年には、ソフトウェアROMを差し替えることで様々なゲームに切り替え可能な業務用システムボード『システムI』を作り上げ、第1弾タイトルとして『スター・ジャッカー』をリリース。
着実にアーケードゲームメーカーとしての基盤を築き上げていったのです。


セガのオリジナルパソコン『SC-3000』の誕生

1980年代前半、日本では個人向けコンピュータ=パーソナルコンピュータが数十万円から数万円という幅広い価格帯で発売されていました。
その中でホビーパソコンと呼ばれる10万円弱の価格帯のものは、主に家庭で時間やお金に縛られることなくゲームをプレイしたいと考える若者の間で徐々に普及していました。
当時は家庭用ゲーム機がまだ普及しておらず、ボビーパソコンを購入した若者たちはゲームプログラム雑誌に掲載されたプログラムリストを自分自身で入力したり、カセットテープに収録された形で販売されているものを購入していました。
またそれに飽き足らず、自分でプログラムを行う人も多く、のちにゲームクリエイターとして活躍する人もいました。

「家庭でもゲームを遊びたい!」というニーズからパソコンが徐々に普及しはじめており、そんなユーザーをターゲットとしたパソコンを開発・販売するため、1983年に「PC事業部」が発足します。
当時、ゲームで遊びたいという本当の理由は隠して、“プログラムを学ぶ”“勉強を手助けしてくれる”ことを理由にボビーパソコンを親にねだる子供たちが多くいたのです。


  • SC-3000

  • SC-3000発売時の新聞広告

1983年7月15日、セガはオリジナルパソコン『SC-3000』を発売します。
『SC-3000』の名称の由来は、Sega ComputerのSCと、29800円という価格から約3万円=30000、ただそれでは桁が多いから3000ということになったようです(当時の開発担当者談)。
当時はカセットテープでのプログラム供給という形が一般的でしたが、カートリッジをセットしすぐにゲームが遊べたという点は『SC-3000』の利点でした。


SC-3000と周辺機器類
セガ初の家庭用ゲーム機『SG-1000』登場

SG-1000と周辺機器類

『SC-3000』の設計が終わったころ、任天堂から家庭用ゲーム専用機『ファミリーコンピュータ』の発売が発表されました。そこで急遽セガも家庭用ゲーム機の開発に取り掛かります。それが『SG-1000』でした。
アーケードゲームハードウェアの開発ノウハウと、ゲーム作りの経験を兼ね備えたセガは、新たなチャレンジとして、ついに家庭用ゲーム機を手掛けることになったのです。
『SG-1000』はSC-3000と同じ基本ハードウェアを採用しながらも、キーボードを分離しジョイスティックを搭載する形でゲーム専用機として開発。別売のキーボードを接続することで、『SC-3000』と同等の機能を持つことができ、データレコーダーなど『SC-3000』の周辺機器も使用できました。
パソコンの機能を実現できるという拡張性は、『SC-3000』同様、当時子供たちが親を説得するための材料のひとつになったのではないでしょうか。ちなみに『SG-1000』の名称は、Sega GameのSG、そして『SC-3000』同様価格にちなんで1万円台という理由から1000と名付けられました。
急ピッチで開発されたセガ初の家庭用ゲーム機『SG-1000』は、『SC-3000』、そして任天堂『ファミリーコンピュータ』と同日の1983年7月15日に市場に登場したのです。

ただ、当時セガは業務用向けに稼働させていたタイトルの家庭用ゲーム化の権利を海外のメーカーに与えていたこともあり、『SC-3000』/『SG-1000』向けのゲームソフトのラインナップを整えるのに苦心しました。
アーケードゲームメーカーなどに声をかけるもライバルメーカーへのソフト供給が問題となってかなかなか集まらず、セガが開発費を提供し、他社が開発したソフトをセガブランドで発売されることも珍しくありませんでした。(例えば『セガ・ギャラガ』など)
セガハードにおけるソフト開発会社の不足はその後もセガを悩ませることとなります。
多数のタイトル開発には内部の開発ラインだけでは手数が足りず立ち上げ段階から外部会社への制作発注が不可欠なものとなりましたが、その中にはのちに 『ぷよぷよ』で一世を風靡するコンパイルなど、後年セガハードで名を馳せる企業も含まれていました。
新たに作った自社製タイトル『コンゴボンゴ』や『N-SUB』など、セガのアーケードタイトルの移植作を含め21タイトルを同年にリリースしています。

改良版『SG-1000Ⅱ』登場


SG-1000Ⅱ

翌1984年には、早くも『SG-1000』の小型改良版、『SG-1000Ⅱ』を発売。本体のデザインを見直しすっきりとした形に改良、基板の小型化、省コスト化が図られました。
『SG-1000』では本体基板に直結する形でジョイスティックを接続していましたが、故障修理の際、本体ごとサービスセンターに送付する手間がかかるため、途中から分離式に改良されましたが、それは『SG-1000II』でも採用されています。
コントローラーは標準で2個付属となり、形状もジョイスティックからジョイパッドへと、より使いやすいものに変更されました。


家庭用ハード戦線への足掛かりに

『SC-3000』は日本だけでなく北米、欧州、オーストラリアなどで販売され、30万台ほどが流通。『SG-1000』は初年度で16万台ほどが販売されました。
この数字は、家庭用ゲーム専用機として他社の実績と比較するとそれほど大きなものではありませんでした。しかしそれまでアーケードゲーム業界で戦ってきたセガにとっては、業務用基板が数千枚でヒット(『スペースインベーダー』など特例はあるにせよ)、という規模感に比べると、これまでの技術ノウハウの応用をベースに手掛けたものとしては、ひとつの事業としての将来性を感じさせる十分な実績でした。
『SC-3000』と『SG-1000』が生み出したこの実績により、セガは家庭用ハードメーカーとしての歩みを進めていくことになるのです。

「第2回」へ続く