2017.12.13 掲載
『メガドライブ』によって家庭用ゲーム機の性能を大幅に進化させたセガ。家庭用ハード市場のし烈な競争によって世界中が盛り上がりを見せる中、次に企画されたのは「場所を選ばず手軽に楽しめる」ソフト交換式携帯ゲーム機『ゲームギア』でした。
今回は、セガ初の携帯ゲーム機についてご紹介します。
国産初のカラー液晶携帯ゲーム機
ゲームギア
任天堂の『ゲームボーイ』が1989年に発売、大ヒットする中、セガ初の携帯ゲーム機『ゲームギア』の企画は進行しました。
『ゲームギア』は、後に惑星の名を家庭用ハードのコードネームとする流れに沿って、「Project Mercury(水星)」とも呼ばれました。
最大のセールスポイントは4096色(当時はフルカラーと呼ばれていました)同時発色のカラー液晶パネルでした。
1980年代中盤には小型カラー液晶の持ち歩けるテレビ、通称「ポケットテレビ」が登場していたものの、カラー液晶パネルは当時まだとても高価で、ゲーム機への搭載はコスト的に不利でした。
しかし鮮やかなカラー表示はゲーム機として大きな魅力に繋がるという判断から、3.5インチカラー液晶パネルの採用が決定されたのです。
パンフレットにも「色いっぱい、だからおもしろい」と謳われていることからも、その意図を感じていただけるかもしれません。
画面が本体と一体、かつバッテリーを搭載する携帯ゲーム機の開発は、それまでの据え置き型ゲーム機の開発や低コスト化で得られたノウハウに加え、さらなる工夫が必要とされました。
本体形状は縦型と横型が検討された結果、操作部分を画面左右に配置する横型となり、背面部には電池を左右に均等に配置することで重量バランスに配慮。ケースや基板に使われる部材の厚みをこれまでの据え置き型ゲーム機より薄くしたり、基板への部品の配置を工夫するなどして小型化&強度を保てるギリギリまで軽量化。
企画当初からの目標である、電池を含めた総重量約500gをほぼ満たす形にパッケージングされたのです。
ゲームギア取扱説明書より「乾電池の入れ方」
機能面では、『セガ・マークⅢ』/『マスターシステム』のハードウェア構成を小型化し、カラー液晶パネルと操作に対応するICを開発することで、省コストかつソフト開発資産を活かせるようまとまっていきましたが、電池を使用するゆえに求められた省電力化には苦労し、バックライト方式による消費電力の大きいカラー液晶の影響もあり、アルカリ乾電池6本を使用して連続3~4時間程度の動作時間となりました。
ゲームギア補助電源アクセサリー
それを補うため、カーアダプタ、パワーバッテリー、充電式バッテリーパックといった周辺機器が発売当初から準備されました。中でも充電式バッテリーパックはゲームをプレイしながら充電できる優れモノでした。
また、『セガ・マークⅢ』、『マスターシステム』、『メガドライブ』のACアダプタも使用できるよう配慮されていました。
こうして、日本で初のカラー液晶を搭載したソフト交換式携帯ゲーム機として、『ゲームギア』は、2万円を切る19,800円という価格で1990年10月に日本で発売。登場から1か月で60万台を売り上げました。
「個人でのテレビ視聴」という付加価値で勝負
ゲームギア+TVチューナーパック
『ゲームギア』の企画に盛り込まれたもうひとつこだわりが『TVチューナーパック』です。
カラー液晶の採用理由の背景には、別売の『TVチューナーパック』をセットすることで、「テレビも場所を選ばず見ることができる」という付加価値の提案がありました。
当時はまだテレビは個人向けに普及しておらず、家族が集まる時間帯ではテレビの主導権をめぐって「チャンネル争い」があり、据え置き型ゲーム機を遊ぶ際もテレビを見たい家族としばしば衝突していた時代です。
『ゲームギア』を購入したユーザーの中には『TVチューナーパック』もセットで購入し、自分だけのテレビを当時のポータブルTVよりも安価に手に入れたいというニーズを満たしていた方も多かったのではないでしょうか。
横型の本体形状は、スタンドなどで安定して立てやすく、『TVチューナーパック』でのTV視聴時にも役立ちました。
また、『TVチューナーパック』には、外部入力端子も装備されていたので、『メガドライブ』などを接続して映像を見ることもできました。
以降発売される家庭用ゲーム機において、こうした「ゲームが遊べる」だけでなく、本体機能を活かした付加価値を加え、商品の魅力を拡大していくことは当たり前となっていきますが、『ゲームギア』はその先駆けと言えます。
ゲームギアのパンフレット
『ゲームギア』のソフトの開発
『セガ・マークⅢ』/『マスターシステム』と同等のハードウェア機能を持つ『ゲームギア』のソフト開発にあたっては、ROMカートリッジも小型軽量化されていたため、過去のゲームをそのまま『ゲームギア』用に化粧直しして発売できるかどうか、すべて洗い直されました。
しかし、ブラウン管上で映し出される画面と3.5インチの液晶画面(およそ5.3×7.1cm)の大きさや表示特性の違いにより、そのままでは文字の読みやすさやスクロールによる残像など調整すべき点があること、そして持ち運べるゲーム機という使われ方の違いなどを含めて『ゲームギア』に特化した開発を行う必要があると判断し、セガだけでなく開発会社を含め、新たな開発が進められることになりました。
そのため、本体同時発売タイトルはセガからは『コラムス』、『スーパーモナコGP』、『ペンゴ』の3つ、年内に『ドラゴンクリスタル ツラニの迷宮』など4タイトルが発売、ライセンシータイトルも3タイトルというラインナップに留まりました。
コラムス
スーパーモナコGP
ペンゴ
しかし開発が進むにつれ、アイデアを駆使した作りで『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』や『ベア・ナックル 怒りの鉄拳』、『ぷよぷよ』、『モンスターワールドⅡ ドラゴンの罠』といった『メガドライブ』をはじめとする過去のハード機で人気となったタイトルも『ゲームギア』向けにアレンジしリリース。また『ソニックドリフト』や『ファンタシースター外伝』、『シャダム・クルセイダー 遙かなる王国』といった『ゲームギア』独自の作品も発売しました。
ソニックドリフト2
ファンタシースター外伝
シャダム・クルセイダー 遙かなる王国
ただ、サードパーティーの参入は『メガドライブ』ほどは獲得できず、ナムコやタイトーといった大手メーカーの参入はあったものの、『ゲームギア』向けゲームソフトのリリースペースはあまり上がりませんでした。
一方海外においては『メガドライブ』の北米・欧州での盛り上がりや、『Master System』の欧州での大成功を受け、セガタイトル、サードパーティータイトルともに、国内より多くの『ゲームギア』向けソフトがリリースされています。
その結果、国内でのソフトのリリースも1996年末の『Gソニック』まで続きました。
カラーバリエーションと『キッズギア』の展開
『ゲームギア』でも、『メガドライブ』同様、『ソニックドリフト』などのゲームソフトをセットにした『プラスワンパック』や、『魔法騎士レイアース』のプリントが施され、同名のソフトなどがセットになった『キャラクターパック』、レッド、ブルー、イエロー、ホワイト、スモークといったカラーバリエーションが登場しました。
カラーバリエーションに関しては、日本のみ、海外のみのものも存在しています。
ゲームギアのカラーバリエーション(一部)
また、1996年3月セガは『ゲームギア』のより低年齢層への普及を狙って、担当部署をTOY事業部へと変更し、商品名称を『キッズギア(KID'S GEAR)』に変更しています。
操作部分をスリム化したり、本体表面を平坦化することでマイナーチェンジしましたが、基本的機能は同じなので、『ゲームギア』向けのゲームソフトはそのまま動作しました。
テレビアニメ展開された『バーチャファイター』をゲーム化した『バーチャファイターMini』と対戦ケーブルが同梱されたセットが発売されています。
この展開は、1993年にTOY事業部より発売された幼児向け知育コンピュータ『キッズコンピュータ ピコ』から始まった低年齢層へのセガの挑戦の流れを汲むものです。
キッズギア
キッズコンピュータ ピコ
初の携帯機へのチャレンジは十分な実績を残したが…。
日本での発売翌年から北米市場にもリリース、欧州や南米などでも販売された『ゲームギア』は、最終的に『メガドライブ』に続いて1,000万台以上が世界で普及しました。
初のソフト交換式携帯ゲーム機への挑戦は十分な実績を残したと言えますが、残念ながらその後継機の発売は行いませんでした。
そのころ、16bit世代の次となる新たな据え置き型家庭用ゲーム機開発の戦いの火蓋はすでに切られており、セガはハードウェア開発部署の開発スタッフや支援部署を家庭用事業とアーケード事業に分離してそれぞれのフィールドで戦いやすい体制を整備。家庭用ゲーム機部門は次なるハード機の開発に向けより集中できる環境を作っていきました。
時代は16bitから32bit世代へ。
次回は『セガサターン』の時代へとお話を進めます。