インタビュー:むっちゃん(ディレクター)

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むっちゃんにとっての『ファンタジーゾーン』

■  ホラ、これは僕が作ったってよくわかるでしょう!?

"6216"  "MUT"  "241"

のどれかが入ってるのは全部僕だよ。だから、その辺を見れば僕がどの辺をやったかすぐわかる。

当時は自分の名前って出せなかったので、そういうところで後で見て自慢できるように(?)、話のタネになるようにサインをさりげなく入れておく、と。

─  ちなみに、アーケード版を作った方々にはマーク3の『ファンタジーゾーン』は、どういう評価だったんですか?

■  アーケード版メインプログラマーのKTGさんには、高評価をいただきました(笑)。


KTG: …(ボスの再現が)できねぇのかよ!?
MUT: …できるわけないじゃないですか!
KTG: そうだよなぁ…
MUT: しょうがないでしょ。スプライトなんて横に4枚しか並べられないんですよ。
KTG: うん、そうだよな……
これは確かによくできた!


■  アーケードは、これの10倍以上の容量でやってるのを、マーク3では1Mでやったんだからさぁ。1Mって、1メガバイトじゃないからさぁ、1メガビットだからさぁ……。

フロッピーが1メガバイトの時代に128キロバイトだよ。なので、みなさんからの評価はすごく良かったです。ハイ。

─  そういえば海外版の方もむっちゃんが作ったんですか?

スタッフロール

エンディング後のスタッフロールより。下線部がむっちゃん。

「音楽の"NOAH TOKU"というのは、Bo君(後に『アレックスキッドのミラクルワールド』を担当)です。まだBoになる前。あとデザインの"CHOKO"は、ちょう子姉さん(後にセガのテレフォンサービス"ジョイジョイテレフォン"の看板娘となる)です。」
■  うん。『ファンタジーゾーン』を日本で発売して、次はアメリカ版。それで出来上がったものをアメリカのCES(Computer Entertainment Show、現在のE3の前身)に持っていったのね。シカゴでやったんだけど、その時は『北斗の拳』のプログラムをやった中君といっしょに行った。

朝の4時頃から2人でシカゴの街中を写真撮りながらぶらぶらして、ご飯食べて、とあるミュージアムに行った時、中君はカメラを落とした。……結局見つからずじまい。あーあ……あ、話がそれましたな。

─  ファミコン、PCエンジン……さまざまなゲーム機に『ファンタジーゾーン』は移植されましたが、それらを見てむっちゃんはどういう気持ちだったんでしょう?(笑)

若き日のむっちゃん

[むっちゃん秘蔵写真 その2]

現在ソニックチーム社長の中さんとむっちゃん。CES会場にて。
■  「うわぁ、ボスが全部できてるよ……。くやしー!」というのが、まず最初の感想だった(笑)。

─  それはファミコン版ですね。

■  そうです。「やっぱファミコンってすげーや」っていうのがその時に思った本当の気持ち。あとはねぇ……後になればなるほどいいハードになってるので、ちゃんとできるのは当たり前だと思っているから。

─  むっちゃんにとって、『ファンタジーゾーン(マーク3版)』ってどんな存在なんですか?

■  セガにとって1Mの最初のタイトルってことだったのね。それまでのセガのタイトルと比べると、ファミコンしかやってない人にとっても、たぶんセガの家庭用のゲームっていうのが少しは知られたタイトルだというふうに思ってるです。

だから、そのへんがね、自慢〜♪ っていうかうれしいな、と。僕にとっては、セガが家庭用ゲームをファミコンの人にも知らしめた作品。

─  今でもこの作品は、むっちゃんの自慢?

■  いやぁ、自慢というほどではないけど……

……ちょっぴり自慢です!(笑)
むっちゃん

「ファンタジーゾーンは雑誌でも大きく取り上げられたし、アメリカではこれとスペースハリアーはすごく売れた。シカゴに行けたのもそのご褒美みたいなものなのでこの作品のことは忘れられません(笑)」

2002.11.26 セガ・取材室にて  




リプレイコミック「むっちゃんとファンタジーゾーン」

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おもいでがいっぱい(読者からの投稿メールより)