―― 『アレックスキッド』が企画された経緯を教えてください。
オサール■それはちょうどセガの開発セクションがアーケードとコンシューマーに分かれて1年くらい経ったころです。すでに『スーパーマリオブラザーズ』(以下『スーパーマリオ』)が大ヒットして、任天堂のファミリーコンピューターが磐石の地盤を築いていました。セガは新機種のマーク3を投入して、『スーパーマリオ』のように売れるゲームを作るために、第二研究開発部がその特命をうけアクションゲームの開発に着手したんです。
―― それが『アレックスキッド』だったんですね。
オサール■はい。
―― はじめから現在の形のようなアクションゲームだったんですか?
オサール■いいえ、初期タイトルは『ミラクルランド』と呼んでいて、アクション主体のアドベンチャーゲームが作りたくて企画したものだったんです。だから、今で言う“アクションRPG”に近いかもしれません。
―― アレクのアクションがパンチとジャンプというのは決まっていたんですか?
オサール■主人公はもともと如意棒を武器にするつもりでしたが、拳法の使い手という、オリジナルキャラになり、パンチ攻撃を主体としたアクションになったんです。
そういうこともあって何回も企画書を書き直して、現在の形になりました。
当時は『スーパーマリオ』がヒットしていて、いかに『スーパーマリオ』と“差別化”するかということで、いろんなことを考えたというわけです。
―― 具体的には、どんな“差別化”をしたんですか?
オサール■例えば、マリオは上にパンチするでしょ。
だからアレクは横にパンチでいいんじゃないの、みたいな(笑)。
それから、ジャンプボタンがマリオと逆なんですね。
当時は“これが差別化だ”なんていう認識でやっていたんですが、……それは間違いですね。今、考えればナンセンス。ちょっとやりにくいですよね(笑)。
―― 物語の舞台やキャラクターの設定もずいぶんと凝ったものでしたが、オサールさんには何かイメージしていたものがあるんでしょうか?
オサール■実はこのゲームは異星間の戦争の物語です。映画でいえばスターウォーズですね。舞台である“アリエス星”は地球とよく似た星で、例えるならマルコポーロの東方見分録の時代に今のアフガニスタンの大きな都だった“バダクシャン”のイメージです。
―― それなのにアレクの大好物は“おにぎり”ですよね……。
オサール■“おにぎり”は地球における日本の食習慣ですが、アリエス星にも同じ食習慣をもつ島があったのです(笑)。アレクがいつこの食べ物を好きになったかは正確にはわかりませんが、国王であったアレクの父サンダーは異文化を取り入れることに熱心だったので、アレク王子はそのうちに“おにぎり”を食べ、大好きになったと考えられますね。 |
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アレクの企画書
オサールさんが大学ノートに鉛筆で書きこんだ企画書。イラストも豊富で、ゲーム中にそのまま再現されているものも多い。
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『アレックスキッドのミラクルワールド』
1986年、アレックスキッド初登場!
『アレックスキッド ザ・ロストスターズ』
1986年、アーケードにもアレクが登場。1988年にはマーク3に移植された激ムズの横スクロールアクション。
※この作品はオサールさんとは違う部署の方がつくったそうです。
『アレックスキッド BMXトライアル』
1987年、アレクがBMXでレースに参加。パドルコントロール専用のレースゲーム。
『アレックスキッド 天空魔城』
1989年、メガドライブに活躍の場を移したアレク。乗り物はさらに増え、画面もカラフルになったけれど、やっぱりボス戦はじゃんけん!
『セガガガ』
2001年、まさかの復活を遂げたアレク。主人公をサポートする役として、成長したアレクが凛々しく登場!
(C) SEGA CORPORATION
/HITMAKER CO.,LTD., 2001 |
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『ピットフォールII』
(SG・1985年)
「マップはオリジナルなんです。その後、アーケードにも、このマップは転用されたんですよ」
『赤い光弾ジリオン』
(MK3・1987年)
「マーク・サーニーが、これを絶賛してくれました」
*マーク・サーニー……アメリカ・カリフォルニア州生まれの天才プログラマー。セガでの代表作は『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』『メイズウォーカー』など。 |
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