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![]() ![]() オサール・コウタ (おさーる・こうた) ![]() |
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1983年、セガ入社、研究開発部に配属。『アレックスキッドのミラクルワールド』をはじめ数々の名作を生み出して、現在は某ゲーム会社で、とあるゲームを開発中とのこと。 オサールさんの作品に関しては“オサール・コウタ作品集”を参照のこと。 |
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![]() オサールさんのお気に入りのゲーム ![]() 「僕が就職活動をしていた1982年というのは、すでにインベーダーブームが沈静化して、街にゲームセンターが普通に定着してきた頃です。 ビデオゲームの映像表現もかなり豊かになってきていて、僕のお気に入りのゲームと言ったら、セガの『ザクソン』『ペンゴ』『モンスターバッシュ』、ナムコの『ディグダグ』とか、大好きなんです」 ![]() |
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![]() ![]() ―― オサールさんが、セガに入社しようと思った動機って何ですか? ![]() オサール■筐体の横に刻印された「SEGA」のロゴは中学生のころから知っていましたが、とにかく“ゲームをつくってみたい”という単純な動機で応募したんです。 ![]() リクルートの情報誌でセガが求人していることを知りまして、すぐに翌日、九州から特急列車と新幹線を乗り継いでセガを訪問しました。ところが本社の地図がかなり大雑把だったので道に迷い、当時の第二工場へ行ってしまったんです。 ![]() 結局、セガの方が本社まで車で送ってくれまして、無事に試験と面接を受けることができたんですけどね。 ![]() そして、なんと“当日”採用内定されました。 ![]() 今では考えられない状況ですが、当時の業界はまだそんな雰囲気でした。実はナムコも受けるつもりだったんですが、内定をもらったのでセガに入社することに決めたんです。 ![]() ―― オサールさんが入社して、はじめてつくったゲームは何ですか? ![]() オサール■セガでコンシューマーが始まった頃の1983年に入社したんですね。全員で10人いるかいないかというパソコン事業部の開発セクションに配属されて、そこではSG-1000のソフトから作りはじめました。えーと、最初につくったのは『ハッスルチューミー』(*1)かな。 ![]() 実は最初にアーケードもひとつだけ企画して、ロケテストまでやったのに、お蔵入りしてしまったものがあるんです。『チェインピット』というタイトルだったんですが、よく考えたら、新人がいきなり企画やって商品を出すなんてトンデモナイ話ですよね(笑)。 ![]() ―― そうかもしれませんね(笑)。ところで、その『チェインピット』って、もしかして『ピットポット』(*2)と何か関係があるんですか? ![]() オサール■その通りです、よくわかりましたね。ここだけの話ですが、『ピットポット』はこの『チェインピット』の続編なんですよ。……この話は、とても小さい話なので、ここまでにしましょうか(笑)。 ![]() ―― はい(笑)。その後は、どんなゲームを作ったんですか? ![]() オサール■『ハッスルチューミー』の後は、『ピットフォールII』『青春スキャンダル』『忍者プリンセス』など3年で10本くらいつくりました。そして、1986年の『アレックスキッドのミラクルワールド』(以下、『アレックスキッド』)へと連なっていくわけです。 ![]()
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![]() ![]() ![]() *1)『ハッスルチューミー』 ![]() ネズミが主人公のアクションゲーム。 「コンパイルの仁井谷さんといっしょに作ったもので、商品になった僕の最初の作品です」 ![]() ![]() ![]() *2)『不思議のお城ピットポット』 ![]() パズル性の高いアクションゲーム。主人公はアレクの兄イグル。 |
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