#10 寺田 貴治

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セガのゲームを作る、あんな人、こんな人。

どんな人が、どんなことを考えて、セガのゲームは生まれるのか?

それぞれのクリエイターが持つ “こだわり” や “発想”、開発中に起きるエピソードなど、普段はなかなか聞けないことを、直接会って聞いてみよう! というこのコーナー。

今回は、作品の原点でもある最初の物語が、シリーズを重ねて進化した 「ネオCG」 「戦闘システム(ARMS)」 などを取り入れ、全く新しく生まれ変わった <シリーズ最新作> PS2 『サクラ大戦 〜熱き血潮に〜』 の開発ディレクター、寺田 貴治 氏(オーバーワークス)に、本作の魅力を語っていただきました!


寺田 貴治 (てらだ・たかはる)

(株)オーバーワークス 『サクラ大戦』 開発ディレクター

1971年生まれ O型



■主な経歴

1995年、企画として入社。SS 『ワールドアドバンスド大戦略 作戦ファイル』 『ADVANCED WORLD WAR 千年帝国の興亡』 では膨大なデータの作成を行い、以後 SS 『サクラ大戦2』、DC 『サクラ大戦3』 では戦闘パートを担当。 PS2 『サクラ大戦 〜熱き血潮に〜』 では、開発ディレクターとして全体の統括を行う。


先輩から受け継いだ熱いスピリット

―― ゲーム業界を目指したきっかけを教えてください。

寺田■小さな頃はボードゲームが好きだったんですが、パソコンのゲームをやって、自分でプログラムも組むようになりました。当時は小学校の3年生か4年生だったんですが、神童ぶりを発揮していました(笑)。
 そこからが始まりかな。あの頃のゲームがオレを変えたんですね。まぁ、高校を卒業する頃にはセンター試験の数学で6点とったりしましたが……(笑)。

大学の時は、地元福岡で一番有名な某ソフト会社でバイトしていたんですよ。シミュレーションゲームで有名な。
 そこではモーションもつけたし、スクリプトっぽいこともやったし、企画もやりました。某ソフトの時は、「寺田君、声優やってくれ」 と言われて、宇宙人役を熱演したこともあったなぁ(笑)。

―― その頃の経験は、今も活きていますか?

寺田■そうですね。ある日、そこでお世話になっていた上司にこんなことを言われたんです。

お前は面白いゲームをつくるためには何が大事なのか考えたことはあるか? 面白いものを見たら、なぜそれが面白いのか、常に考えるようにしないとダメだ。しかし、それを考え続けることによって、いつかお前のゲームづくりを助けてくれるであろう!」

振り返ってみると、あのバイト時代には単なる技術だけでなく、こういったゲームづくりの心構えみたいなものも教わりましたね。自分の基礎があの時にできていったんだなと思います。

―― それでは、数あるゲームメーカーのなかで、セガを選んだ理由って何ですか?

寺田■オレはとにかくゲームをつくりたかったので、最初にセガを受けてそこで受かったから、もう他の会社は受けませんでした。

でも、親はセガのことを知らなかったですね。その時、テレビで 「セ〜ガ〜」 ってCM流れてるのに(笑)。まぁ、はじめは反対していた親も結局は 「お前の好きなようにやれ」 って、あたたかく送り出してくれました。


―― 入社して、最初の仕事は覚えてますか?

寺田■セガに入社して、“第1コンシューマ研究開発部” という部署に配属になりまして、最初の仕事はサターンの 『シムシティ2000』 でした。
 目の前に分厚い書類の束をボーンと置かれまして、なんだろうと思ったら英語の仕様書なんですね。で、それをすべて訳せというわけです。これがオレの最初の仕事。でも、そのおかげで英語がなんとなく読めるようになりました(笑)。

その時期に、(*)大場さん、西野さん、大原さんなど、先輩方のゲームに対する 姿勢 とか 考え方 を学ばせてもらったんだと思います。
 オレが考えていた以上に、クオリティに対する姿勢は厳しかったし、ゲームに対する熱いスピリットを植え付けられました(笑)。「やっぱりオレも、この人たちのようにならなければいけない!」 っていう気持ちになりましたから。



SS 『シムシティ2000』(1995年)
(C)1995 MAXIS,INC.,All Rights Reserved

*) 大場さん、西野さん、大原さん

大場さん=大場 規勝 OWS社長
西野さん=西野 陽 OWS企画チーフ
大原さん=大原 徹 氏(第7回参照
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